ぼくの心に感じたコトバ(201~300)


ぼくの心に感じたコトバ(201)

<あなたの広告を出せるとしたら、
 何を伝えますか?>
新聞(2017.12.31)広告

「反骨」精神でしょうか・・・

ぼくの心に感じたコトバ(202)

<本当にいいものは 
 みんなタダでできているねー。>
ある母親が子に語る

ここで言う「本当にいいもの」とは
朝の澄んだ空気、
夕やけの美しさ、
家族の笑い声、
などなどです。
ぼくは同感します!!!

ぼくの心に感じたコトバ(203)

<魂でもいいから、そばにいて>
『3・11後の霊体験を聞く」』から

東日本大震災(死者・行方不明者1万8千人余)で
肉親を亡くした人のコトバです。

「わかる」とは言いませんが、
その心情は想像できます。
ぼくも肉親を亡くしていますから。

ぼくの心に感じたコトバ(204)

<もの忘れ 「あ」からたどって探り当て>
正能照也(投稿者)

よくわかります!
ぼくも経験していますから。

ぼくの心に感じたコトバ(205)

<「先生」の敬称は、
誰かに無理を押しつけるためにあるわけではない。>
天声人語(1月24日)

最近の保護者のなかには、
子育てを教師に任せる人がいる、
ということを聞きます。
ぼくたち教師は子育てに参加しますが、
それは保護者に協力するのであって、
保護者の肩代わりをするのではありません。
「先生、お願いします」と言われたら、
中味を吟味して、返事をしましょう。

ぼくの心に感じたコトバ(206)

<もの・こと・人・自然との
ボディー・コミュニケーションの大切さ>
金森俊朗『学びあう教室』の筆者

金森は「感じ考えるからだ」を育てることを
重視します。ぼくも賛成です。
「コトバによるコミュニケーション」は
どうしても知的にかたよりがちです。
論理を軽視するのではないですが、
「からだで感じたこと」が土台にない論理は、
コトバが軽く、空疎になりがちです。
教師は子どもたちに
「自分のコトバで」とよく言いますが、
上記のことを述べているのでしょう。

ぼくの心に感じたコトバ(207)

<「妄想」(言葉の体系)が
社会を生きるのにふさわしいかどうかを
評価するのが「父の役割」です。
 評価を抜きに肯定するのが「母の役割」です。
 言葉以前的な要素(笑顔や泣き顔、
 ダッコやオンブが与える感覚)が大事です。>
宮台真司『ウンコのおじさん』

「評価する」ことに熱心な母親が
ふえてきているように感じます。
「評価」抜きに「肯定する」こと、
言葉以前的な要素を大切にすること、
をこころがけたいですね。

ぼくの心に感じたコトバ(208)

<法を守るのもホドホド。
 法を破るのもホドホド。>
宮台真司『ウンコのおじさん』

続けて、宮台の言葉の引用です。
「やりすぎはダメ」とも述べています。
どこから先がやりすぎか。
それがわかるようになるのが大人になること、とも。
これは経験から学ぶしかない、ということでしょう。
「マニュアルに固執しない」ことです。
店で対応する若い人のことば遣いに感じることです。

ぼくの心に感じたコトバ(209)

<論破禁止>
高橋源一郎

ぼくは「議論の場」以外で
「論破」をしたことはありません。
それなのに、現役時代、
ぼくと「意見を交わす」のをさける人が
多かったのはなぜでしょうか。
それは「論拠」を徹底して追及したからです。
「論拠」をきちんと考えずに、
意見を述べていることに気づかされることが
嫌だったようです。

ぼくの心に感じたコトバ(210)

<私たちは、日本語を通じて現実を理解している。
日本人の頭に砂が水を吸うように
英語が入ってくることはありえない。>
   水村美苗(小説家)

水村は
「まずは日本語を教育の基本にすえるべきである」
とも述べています。
ぼくもまったく同じ考えです。
小学校高学年の英語を2020年から正式教科にする、
と、文科省はいうが、ぼくは反対です。

ぼくの心に感じたコトバ(211)

<文化資本(マナー、美的感受性、言葉遣い、教養)は
成人してからの学習努力では身につかない。
「生まれ育ち」で決まる。>
             内田樹

内田は、
「学歴では文化資本の差は埋められない」
とも述べています。
それが「階層差」だというのです。
経済的な階級差とは異なる、というのです。
ぼくが若い時代には、「生まれ・育ち」
というコトバをよく耳にしました。
今はあまり聞くことがなくなりましたが。

ぼくの心に感じたコトバ(212)

 

<正社員派遣社員が指導する>

  いつのまにやら(新聞投稿川柳)

 

経験豊かな講師が正採用の未熟な先生を指導することは

実力からしておかしくはないでしょう。

再任用の校長・教員が新任・後輩教師を指導する

学校は多くあります。

この川柳の作者は何を言いたいのでしょうか。


ぼくの心に感じたコトバ(213)

<あんたら頭で考えとる。
そやからあかんにゃ。>
  松井利夫(陶芸家)

松井は「手で考えよ」と言う。
ぼくたち教師は「自分のコトバで」と言う。
自分の体験や経験を通さないコトバは軽い。
子どもたちに説教するまえに、
自分はどうなのか、振り返って言うようにしたい。

ぼくの心に感じたコトバ(214)

<ドラえもんが生物と認められない理由を書け>
ある私立中学の入試問題

ぼくが担任していた子どもたちに尋ねてみたかった。
どんな答えが返ってきただろうか。
回答例は
「成長したり、子孫を残すことができないから」
(文法的にはまずい例です。
「~たり」ときたら「残したり・・」と続かないと)
たぶん、もっと多様な答えが返ってきただろうと思います。

ぼくの心に感じたコトバ(215)

<「目の前にいるのが誰であっても
 ぼくの話すことは変わらない」
 ということは、
 相手は誰でもいい、というメッセージ・・>
内田樹『世界「最終」戦争論』

この本は、対談なので、
相手によって「話すこと」は変わるでしょう。
でも、
「相手によって話すことは変わらない」ことも
大事なことです。最近の政府の対応をみていると、
特に、そう思います。
ぼくは、相手の子どもたちによって、
話すことは変わります。当然のことですが。

ぼくの心に感じたコトバ(216)

<注意する、叱る、励ます、
 垂直に降らせる言葉だけ増えてゆく。>
千葉聡(教師)

ぼくは「水平なコトバ」がけを
心がけてきましたが、
子どもたちはどう感じていたのでしょうか。
クラス会などで、尋ねてみたいです。

ぼくの心に感じたコトバ(217)

<「ヤバイです」いいの悪いのどっちなの>
いのくま(投稿)

若者がよく使うコトバですね。
文脈を勘案しても判断に困る事があります。
投稿者の意見に同感します。
ほかにも「かわいい」とよく言っている。
ときどき、
何が「かわいい」のか、判断しかねる場面があります。

ぼくの心に感じたコトバ(218)

<「世界一美しい場所」とはどこか。
 それは人によってちがう。>
佐藤弘夫(大学院教授)

ぼくにとって、
「世界一美しい場所」とはどこだろう。
現実の世界なのか。
想像の世界なのか。
本気で考えてみたい。
まず、「美しい」をどう考えるか。
「場所」を空間と考えるかどうか。
やっかいなことを抱え込んでしまったようだ。

ぼくの心に感じたコトバ(219)

<「先生」の敬称は、
誰かに無理を押しつけるために
あるわけではない。>
天声人語(2018.1.24)

学校の先生が、無理を言う保護者に
言ってみたいセリフです。
ぼくが若いころは
「モンスターペアレント」という
コトバはありませんでした。

ぼくの心に感じたコトバ(220)

<書籍なき家は、
 主なき家のごとし。>
   キケロ

ぼくが新任教師のとき、
クラスの子どもたちに
「家に、本何冊ありますか?」
と尋ねたことがある。
一冊もない子がいて、
まずいことを尋ねたな、と思ったが、
あとのまつり。
社会について無知だった
(本はどこの家にもある、と思っていた)
ことを思い出しました。
今は気をつけています。

ぼくの心に感じたコトバ(221)

<「ボクのおとうさんは、
桃太郎というやつに
殺されました」>
岡山県公立中学の道徳授業

このような発想を、ぼくはしたことがなかった。
「多様な価値観、立場を考えに入れて」と
日ごろから子どもたちに話してきたのでしたが。
(民話について話すときには、
その価値観を話題にすることはありました。)
「道徳の授業」をしたことがなかったからかもしれません。

ぼくの心に感じたコトバ(222)

<「足さない、引かない」>
   医療通訳者

「以前は、患者の代理人として、
 通訳していた。
今は、中立の立場を守るのがプロと考え、
理解できないときは、わからないと
はっきり言い、あいまいにしない」
とも述べています。
わたしは、子どもの想いをおしはかり、
「通訳」してきました。
「理解する」って、むずかしいですね。

ぼくの心に感じたコトバ(223)

<先生もまんがを描くべきです。
 まんがを描くことによって
 人を観察する目が養われていくんです。>
     手塚治虫

手塚はこうも言っています。
「一クラス40人の顔を見ただけで、
 一瞬のうちに一人ひとりの健康状態から
 心理状態までわかるんです。・・・
 一人ひとりの人間がわかってくるんです」
う~ん、
ぼくは子どもと会話することで推察してきました。
まんがを描かなかったからかなあ・・・

ぼくの心に感じたコトバ(224)

<「大丈夫ですか?」>

大人がよく使っている場面を目にする。
以前、若者たちがよく使う「やばい」をとりあげたが、
このコトバもあいまいですね。
辞書には、
「まちがいなく」「たしかに」という意味が
載っていますが、用法が少しちがいます。
大人なのですから、
もう少しキチンと使いたいものです。

ぼくの心に感じたコトバ(225)

<語彙力こそが教養である。>
    斉藤孝

「語彙が豊かになれば、
 見える世界が変わる」
とも、斉藤は述べています。
「教養」とは何か、は置いておいて、
「語彙が豊かになれば、
 見える世界が変わる」
ということについては
ぼくも同じ意見です。

ぼくの心に感じたコトバ(226)

<人づきあい:
 義理と礼を欠くのは高齢者の特権>
『人生100年時代の生き方、働き方』

ぼくは傘寿になる年の年賀状に、
「今後、年賀のごあいさつは失礼いたします。
 年齢に免じてこの無礼をお許しください」
と書きました。
今、このコトバを読んで、
「特権」として認められるのか、
と思いました。

ぼくの心に感じたコトバ(227)

<他者と一緒に学んだ方が、
考えも広がり、深まる。>
「アクティブラーニング」の解説

ぼくも同じ考えです。
学級集団つくり、
学習集団つくりで、
子どもたちに話してきました。

ぼくの心に感じたコトバ(228)

<「あの人も、読んでいるらしい。」>
新聞の本の広告

思わせぶりなコトバ。
「あの人」は読む人によってちがう。
広告ならいいけれど、
子どもたちには「要注意!」です。

ぼくの心に感じたコトバ(229)

<「生きる」とは、
 生物的に生きているだけでなく、
 他者との関係性があって生きている。>
「週刊読書人」の記事より

一人で生きているように思っている人がいますが、
見えないところで他者と関係している、と
ぼくは考えています。

ぼくの心に感じたコトバ(230)

<「経験するとおそらく
 何か捉え方が変わる」>
  是枝裕和映画監督
  (『万引き家族』)

ぼくが書いた
「その年齢(とし)にならないと
 わからないことがある」と
同じ考えのように思います。
(「経験する」≒「その年歳になる」)

ぼくの心に感じたコトバ(231)

<うそは常備薬、真実は劇薬。>
河合隼雄

うーん、すごいコトバ!!
リアルですね、と聞き流せないです。

ぼくの心に感じたコトバ(232)

<話し方より、伝える内容が大事>
  吉田春乃(経団連・副議長)

英語について述べたコトバです。
ぼくも賛成です。
文科省は、
小学校で英語に慣れることを提言していますが、
そんなことに時間をかけるより、
何を話すか、内容に主眼をおくべきでしょう。

ぼくの心に感じたコトバ(233)

<原稿は消しゴムで書きます。>
佐藤さとる(児童文学作家)

推敲を重ねることを
こんなコトバで説明したそうですが。
ぼくもかつては同じでした。
今はパソコンで書くので、
消しゴムは使いませんが。
便利になってありがたいです。

ぼくの心に感じたコトバ(234)

<「ウソつきは泥棒の始まり」と言って
 叱るのは×。>
『AERA』(2018.6)

筆者は
「子どものウソは『SOS』」
 とも述べています。
ぼくも気をつけたいと思います。

ぼくの心に感じたコトバ(235)

<自分の根っこを見つけて 水やり続けるや。>
  一緒に花壇の世話をした用務員さん


ぼくの根っこは何かな?
いまだに それがわからない。

ぼくの心に感じたコトバ(236)

<チームが勝ち続けるには変化が必要だ。>
ジダン(サッカークラブ監督)

世界大会3連覇後、
こう言って身をいたそうです。
「変化」の意味をどう考えるか、
学級集団はある意味で常に変化しています。
意識的に「変化」する方法を採り入れるのか、
集団のメンバーにまかせるのか。
ぼくはメンバーに考えさせる方法を採り入れてきました。

ぼくの心に感じたコトバ(237)

<安いのでたくさん買って腐らせる>
あさりめし(68)。脳トレ川柳

ぼくもネットで買いすぎて、
(ネットでの買い物は要注意です。)
連れ合いに叱られています。
腐らせないように、
毎日同じものを食べています。

ぼくの心に感じたコトバ(238)

<「格差社会」が新語・流行語大賞
 トップテン入り> (2006年)

「格差社会」というコトバは10年以上前に
社会に受け入れられていたのですね。
今は、「非正規雇用」ということが認められ、
ますます格差が拡大しています。
年金生活していることが
なんとなく気が引けて・・・・

ぼくの心に感じたコトバ(239)

<大胆なる仮説・珍説・枝葉末節>
(本の広告文)

こういう言い方が
最近増えたような気がします。
実直、マジメな言い方が避けられる社会は、
ちょっとまずいのでは・・・

ぼくの心に感じたコトバ(240)

<第二次世界大戦後、
 日本の兵士に殺された人は、
 世界に一人もいない。>
 ダグラス・ラミス(1992)

この事実はぼくたちの誇りにしたいです。

ぼくの心に感じたコトバ(241)

<古稀古稀と
 体のあちこち悲鳴上げ>
 今井文子(投稿川柳)

今井さんは家内の友人です。
ぼくは古稀を10年前にすぎましたが、
ますますコキコキするようになりました。

ぼくの心に感じたコトバ(242)

<散歩する歩幅が老いのバロメーター>
世津子(83歳):投稿川柳

よくわかります。
ぼくも歩幅が狭くなり、速さも遅くなり、
若い人に追い抜かされています。

ぼくの心に感じたコトバ(243)

<私自身も、日本社会では
 在日日本人であり、
 それ以外の規定はすこしもない。>
司馬遼太郎

言われてみればそのとおりです。
ぼくも在日日本人以外ではない。
「在日」というと、
どうして外国人を連想してしまうのだろうか。

ぼくの心に感じたコトバ(244)

<今のこと忘れても
 過去覚えてる。>
比留川みや(79歳):投稿川柳

ぼくもこの傾向があります。
が、
昔のことを思い出せなくて
姉に確かめたりしています。
では、最近のことは覚えているのか。
これもあやしくて、
連れ合いに確かめることがふえました。

ぼくの心に感じたコトバ(245)

<一人は万人のため、
 万人は一人のため。>
これはファシズムのスローガンです。
佐藤優『現代の地政学』

このコトバは、古くから多くの社会で
使われています。
生活協同組合のスローガンにもなっています。
どう理解するかで、
その人の思想・立ち位置がきまるようです。
う~ん、
ぼくはどっちか・・・

ぼくの心に感じたコトバ(246)

<真理は文字や言語で
 他人に伝えることはできない。
 直接の体験からしか得られないものだ。>
荘子(そうじ)

ここで言われていることはなんとなくわかります。
科学で客観的に認められていることは、
「真理」とは言わないのだろうか。
「事実」と「真実」とは異なる概念ではあるが・・

ぼくの心に感じたコトバ(247)

<本を読むのは、何よりもまず
 人間であり続けるためです。>
シリア内戦に参加している若者

平和な日本の若者に
このコトバを贈りたいです。
そして、
自分にたいしても。

ぼくの心に感じたコトバ(248)

<将来のことは、
 大人になるまで生きていたら考えるよ。>
パレスチナ・ガザの10歳の子

日本のジャーナリストの質問に応えたコトバです。
いつ死ぬかもしれないと子どもが思っている
厳しい状況が感じられます。
日本の子どもたち、「平和ボケ」しないでね。

ぼくの心に感じたコトバ(249)

<歩道は恐ろしい。だから車道を通る。>
電動車いすを使っている人

このコトバを、知人から聞いた斉藤慶三さんは、
豊中市全域の歩道調査を始めました。
歩道マップ完成まで11年かかったそうです。
行政は指摘をもとに、対策に取り組みました。
斉藤さんの行動には頭が下がります。
これは2003年のことですが、
ぼくは、このコトバを思い出しながら、
歩道を歩いています。

ぼくの心に感じたコトバ(250)

<わずか「タ」と「チ」の違いで
 何十年も年をとる>
三木成夫

答えは
「よちよち」から「よたよた」へ、です。
さらに、
「よたよた」⇒「よろよろ」⇒「よぼよぼ」
一字ちがいで「?」年、齢をとります。
ぼくははたして「よたよた」より若いかな・・・

ぼくの心に感じたコトバ(251)

<自分のもののようで
 自分のものではない体。>
伊藤亜紗:『どもる体』

「からだに聴け」というコトバが
あります。
ぼくの意志と関係なく
からだは正直ですね。

ぼくの心に感じたコトバ(252)

<「文化」は
 「教育」では身につかない。>
福田恒存

福田はこうも言っています、
「文化は受け渡しが難しい」。
体験しなければ身につかないでしょうね。
ぼくは
「学級の文化」つくりを意識してきました。
集団によって異なります。
「教育」ではないですね。

ぼくの心に感じたコトバ(253)

<紙だから伝わる想いがある。>
製紙会社

ぼくはパソコン・携帯電話など
電気機器での文章を読むのが苦手です。
紙に書かれた文章だとキチンと読めます。
だから、
ペンネームを「旧人類」としています。

ぼくの心に感じたコトバ(254)

<人は生きている限り
 変わり続けるのです。>
 瀬戸内寂聴(96歳)

ぼくも82歳の今まで
変わり続けてきました。
若いときの自分を思い出すとき
変わったなーと感慨あらたです。

ぼくの心に感じたコトバ(255)

<きちんと向き合わないの、疲れるから。
 少しずれた方に目をやるの。>
樹木希林

確かに、きちんと向き合うと疲れます。
でも、
目をずらすのは悪いような気がして、
ぼくは、
あらぬ方を見て話すことが苦手です。

ぼくの心に感じたコトバ(256)

<貧困を生み出す豊かさ>
   姜尚中

日本の現状を批判しているコトバです。
子どもの「貧困」はひどいです。
(経済的な面だけでなく)
安倍総理のコトバの軽さ!!!

ぼくの心に感じたコトバ(257)

<自己の信ずるオピニオン・・を
 「私情」として殺して
 周囲に従う・・ことを
 モラルとするような精神こそが
 問題なのである。>
 丸山真男『現代政治の思想と行動』

ぼくも丸山の意見に賛成です。
日本人的でないと非難されますが。

ぼくの心に感じたコトバ(258)

<老年に敬礼、老翁に合掌>
(奈良時代、神仏共存がはじまる)

ヒトは死んでカミになり、
同時に、ホトケになった。
その時代の心を現代語にした。
山折哲雄(宗教学者)

街を歩くと高齢者とよく出会います。
ぼくも「高齢者」になりました。
このコトバのような社会になってほしいです。

ぼくの心に感じたコトバ(259)

<『怠ける権利!』 小谷 敏著>

何かの「ため」にすることを拒む。
「しないではいられないこと」を
 し続ける。(水木しげる)
遊びの自由を侵食する日本社会に
なっていないか。要注意!!!

ぼくの心に感じたコトバ(260)

<飲食店の駐車場に
「いねむり中」の看板。>
  神谷美和子:投稿

山道をドライブしている時に
出会ったとのこと。
「休憩中らしい」との注釈。
のんびりしていて、
いいなぁと思いました。

ぼくの心に感じたコトバ(261)

<発問するのは、
「この問い以外のことは考えるな。
 他のことに気づいてはいけない」
という指示を与えている
「かくれたカリキュラムである。>
 宇佐美寛『国語教育を救え』(2018)

う~ん、
「発問」が、
どのような授業・文脈の中でされたのか、
を抜きにこう断定されると少し引っかかります。

ぼくの心に感じたコトバ(262)

<若い世代にとっては、
「コミュニケーション」と
「(仲間からの)承認」こそが、
幸福感の条件として最重要となる。>
 斎藤環『フェイクの時代に隠されていること』
(2018年刊行)

ぼくにとって、「幸福感の条件」って何かなあ、 
家族との関係はゆずれないですね。 

ぼくの心に感じたコトバ(263)

<「正しいことを言ってはいけない」>
フィンランドの精神疾患療法

「説得してはいけない」
とも言われています。
専門家が二人以上いて、話し合っている場面を
患者が見ている・聞いている(オープン・ダイアローグ)。
患者本人が感じる・認識することに任せる。
教育にも通じるものがあります。
先生は児童・生徒を「説得してはいけない」。
先生は児童・生徒自身に認識を任せるのです。

ぼくの心に感じたコトバ(264)

<続けるという行為は、
 新しいことに取り組むより
 エネルギーがいる。>
「阪神淡路大震災にとりくむ人」
(2017年)

ぼくにもこのことはわかります。
ぼくも「続けている」ことがあるので。

ぼくの心に感じたコトバ(265)

<時すでに「今に見てろ」が言えぬ年>
高木 喬(78歳)

ぼくもその年齢(とし)になっています。
けれど、新しいことに挑戦しようと思っています。

ぼくの心に感じたコトバ(266)

<気に入らなければ自ら変えよ。
 さもなくば従え。>
アルフレッド・アドラー

ぼくはこれを実行してきました。
それで、
周りからいろいろ言われた経験があります。
(「新開さんは強いからできる・・・」)

ぼくの心に感じたコトバ(267)

<歴史学研究は常に更新されていく>
呉座勇一

ぼくの自己認識も常に
更新されてきました。

ぼくの心に感じたコトバ(268)

<「今年の言葉」として
 「ポスト真実」を選んだ。>
オックスフォード英語辞書(2016)

「客観的な事実より、感情や個人の信条に
 働きかけることが、世論を形成するうえで
 より影響力を持つような状況のこと」
 と定義している。
日本も同じような社会状況にある、と
ぼくには感じられます。

ぼくの心に感じたコトバ(269)

<事実を信じる人と、
 それを信じない人との間に
 溝ができている。(分断社会)>
  日比嘉高(大学教員)

「事実」とは何か?
これがそう単純ではないですね。
ですから、
信じるか?と言われても・・・

「オルタナティブ・ファクト」
(もう一つの事実)
というコトバを、
ホワイトハウスの報道官が言う時代
ですから。

ぼくの心に感じたコトバ(270)

<生きるとは、たたかうこと。
 たたかうとは、つづけること。>
むの たけじ

ぼくも「たたかいつづけ」ていますが、
肝心なことは
「何に向かって」
「何を求めて」でしょう。

ぼくの心に感じたコトバ(271)

<「言語」を
 日常生活における使用という観点から
 とらえること。>
小浜逸郎

小浜は『日本語は哲学する言語である』で、
<言語主体の不在、生活主体の不在、
それは「死んだ客観主義」である。>
と述べています。
ぼくも、コトバについて
「日常生活における使用」という観点を
重視したいと思います。

ぼくの心に感じたコトバ(272)

<「保守」とは
 良き習慣と伝統を守りながら、
 時代の変化に合わせて
 少しずつ改革していく態度のこと。>
  小林よしのり(漫画家)

ぼくはいつからか「保守」になっていました。
若いときは「革新」だったのですが。

ぼくの心に感じたコトバ(273)

<美しい日本語が響くクラスに。
教室の中で教師は最も影響力のある
「言語環境」です。
教師が正しいきれいな日本語を
話すように心がけましょう。>
児言研会員ニュース

現役のときには、
このことを強く意識していましたが、
どこまで実現できたか・・・

ぼくの心に感じたコトバ(274)

<「快」か「不快」かで判断しない。
 「敵」か「味方」かで判断しない。
 歴史的にも認識をする。
 因果論的な認識をする。>
小森陽一『心脳コントロール社会』

直観に頼ることは要注意!
でも、直観は大事にします。
少し以前から、歴史を学び直しています。
論理は昔から大切にしてきました。

ぼくの心に感じたコトバ(275)

<妻に聞く前に一度は捜すふり>
角田ヤスベー(72歳)

ぼくは真剣に探しているのですが、
見つからないときは、家内に頼みます。
家内はすぐ見つけて、
「どこ見てるの!!」とよく言われます。

ぼくの心に感じたコトバ(276)

<どうせなら面白がっていきなくちゃ>
小西克明(投稿川柳)

ぼくも少し以前から、
この境地で生活しています。
ただし、今の政治には怒っていますが。

ぼくの心に感じたコトバ(277)

<恩返ししたい人が5人います。
 1番目は、いまの担任の先生です。(以下、略)
 2番目は、空手の先生です。(略)
 3番目は、いつもそばにいてくれる友だちです。(略)
 4番目は両親です。(略)>
辻 蓮生(12歳)

恩返ししたい担任には会いませんでした。
親友は高校生の時できました。
親は身近すぎて、対象化して考え始めたのは、
少し年齢(とし)をとってからでした。
優しい両親だったと、今改めて感じます。

ぼくの心に感じたコトバ(278)

<ニュース見る度不機嫌になる夫>
高綱美子(投稿川柳)

この川柳は妻が書いたのかと思いました。
少し以前から、ぼくもこの夫と同じです。

ぼくの心に感じたコトバ(279)

<能力は個人の私有物ではなく
 周囲との共用物だ。>
 与那覇 潤(近現代史専攻)

他者との関係のありようによって、
おもはぬ能力を発揮した経験があります。

ぼくの心に感じたコトバ(280)

<私たちが「正しくある」ことで
 踏みにじってしまうものが存在する。>
岸 政彦(社会学者)『はじめての沖縄』

「正しい」もの・ことを述べる時、
気をつけねばならない。
自戒の弁です。
もう若くはないのですから。

ぼくの心に感じたコトバ(281)

<「思ったことを率直に言うことが
 相手に対して誠実である」というのは
 間違った認識である。>
『余計な一言』(斎藤孝著)についての
柴田忠男の書評

う~ん・・・
ぼくは間違っていたのだろうか?
若いときは。
今は相手の反応をみて話すように
こころがけています。

ぼくの心に感じたコトバ(282)

<ずっと子どもでいるのと
 大人でいるのと、どっちがいい?>
小説の人物の会話

その返事は「大人」。理由は
「子どもより自由で、楽しいから」
ぼくも同じです。
責任をとらなければいけないけれど・・・
最近は、
ストレスに負けて犯罪を犯した大人が
新聞によく載りますが。

ぼくの心に感じたコトバ(283)

<客観性というものは、一面で
 共感性や情緒の欠如をもたらす。>
磯田道史(書評から)

うーん・・・
ぼくは若いときから、
「客観的に」という構えを大切にしてきました。
ケブタガラレタ理由の一つに
「共感性や情緒の欠如」が感じられたことが
あったのかもしれません。

ぼくの心に感じたコトバ(284)

<猫も老人も、
 役立たずでけっこう。>
養老孟司(80歳)

80歳をすぎたぼくは、
まだ人の役に立とうとしています。
役に立っているか否かは
人の判断におまかせしていますが。

ぼくの心に感じたコトバ(285)

<正しいことをするか、
 親切なことをするか、
 どちらかを選ぶときは、
 親切を選べ。>
映画の人物のコトバ

う~ん・・・
正しいことの内容によりますね。
親切なことは身近なこと。
正しいことには、
身近なこともあれば、そうでないことも。
「親切」と「正しいこと」とは
対立するとは思いません。

ぼくの心に感じたコトバ(286)

<故郷とは自分の一部なのです。>
伊勢雅臣『日本人が知らない日本』

大阪はぼくの故郷なのだろうか・・・
「故郷」という言葉で浮かんでくるのは、
淡路島のおふくろの出生地です。
学齢以前の時間の多くをそこで過ごしました。
農作業も含めて、その社会を思い出します。

ぼくの心に感じたコトバ(287)

<子どもには時間、空間、安心感を与えろ>
磯田道史の父親

ぼくも自分の子どもには同じようにしてきました。
あとで話を聞いて、安全面で心配するようなことも
ありましたが、そんなときは、厳しく注意しました。
今は二人とも自立していて、安心しています。

ぼくの心に感じたコトバ(288)

<社会の壁を壊すのは大変。でも、
 心の窓を開けることはできると思うのよ。>
オノ・ヨーコ

大変だけれども、社会の壁を壊す努力は
続けようと思っています。
心の窓を開けるのもむつかしいですが。

ぼくの心に感じたコトバ(289)

<神だのみ、 頼んだ神を間違えた>
  駒津田トキノ(投稿川柳)

ありますね。
あとで
あれ・・・と気がつくこと。

ぼくの心に感じたコトバ(290)

<「救いたい、教えたいと力の入る大人には、
 若い人は心を開いてくれません」>
チャイルドライン支援センター:神仁(じん ひとし)

ぼくの心に感じたコトバ(291)

<安易に激情に流されない人を
 育てるのが教育だと思います。>
人種差別者に車ではねられた人の母親

「カッとなってやってしまった」と言う
若者が多くなった(?)ことが気になります

ぼくの心に感じたコトバ(292)

<この世で最も本当のことは
 大人にも子どもにも見えないものなのです。>
120年前の新聞社説
(「サンタはいるの?」と問う少女に応えたコトバ。)

ぼくも同感です。

ぼくの心に感じたコトバ(293)

<民主主義の面倒臭さは
 バンド運営のもどかしさと似ている。>
後藤正文(ミュージシャン)

民主主義とは面倒なものです。
面倒さを否定すると独裁になります。

ぼくの心に感じたコトバ(294)

<けっしてことばにできない思いが、
 ここにあると指さすのが、ことばだ。>
長田弘『詩ふたつ』

ことばになりえないものを大切にする
ためにことばがある。
ぼくも同感です。

ぼくの心に感じたコトバ(295)

<趣味に便利さを求める人は
 いませんよね。>
角田太郎(大手企業元部長)

同感です。
ぼくも趣味は楽しんでやっています。

ぼくの心に感じたコトバ(296)

<本当に怖いのは人の心>
サンキュータツオ(日本語学者)

同意見です。
この齢(80歳余)になって、
あらためてそう思います。

ぼくの心に感じたコトバ(297)

<日本の人口推計(2017)では、
 65~69歳が最も多い。>
  総務省統計局

散歩しているときに、高齢者に出会う
機会がふえました。

ぼくの心に感じたコトバ(298)

<市原悦子さん死去、82歳>
   新聞記事

この齢(とし)になると、今まで以上に
「死」という文字が目に入ってきます。
そのうえ、「82歳」となると
ドキッとしました。ぼくと同じ齢ですから。

ぼくの心に感じたコトバ(299)

<オトナになると自分の意見を持つ。
 意見はやがて「価値観」に成長し、
 自分を縛っていく。
 知らない間に脳が凝り固まっていないだろうか。>
サンキュータツオ(学者芸人)の書評文

ここに述べられていることには
ぼくも十分留意したいと思います。

ぼくの心に感じたコトバ(300)

<日本と言う国は、
 東洋でも西洋でもない、
 その昔の人の社会と現代の人の社会を
 同時に体験できる、
 世界で唯一の国だと思う。>
アンドレアス・カンポス(スペインの学生)

ぼくも自分が住む国「日本」について、
改めて考えはじめています。
「歴史」からはいり、
「文化」「社会」についても勉強中です。




 
大阪児言研
 <文責:新開惟展>