大阪児童言語研究会 |
ぼくの心に感じたコトバ(301~)ぼくの心に感じたコトバ(301) <豆腐やご飯など、基本になる食べ物が、 味がないように見えて、実は 深い味わいがあるところがおもしろい。> ペルト・ホリー(チェコ) 「味がないように見えて、実は 深い味わいがある」 ぼくはそんな日本が好きです。 ぼくの心に感じたコトバ(302) <誰だって最後は箸でつままれる> 投稿川柳:麦そよぐ(さん) 少し前から「死」という文字が 目に付くようになりました。 ぼくの心に感じたコトバ(303) <肩書のない年月にこそ 人は自分の本領を発揮できる。> 曽野綾子 肩書がなくなって20年超、はたして ぼくは自分の本領を発揮してきたか? 肯定したいのだけれど・・・ ぼくの心に感じたコトバ(304) <60代、70代は老人ではない。> 五木寛之 80代がありません。 保険の新聞広告にも、 50代、60代、70代はありますが、 80代はありません。 PCのアンケートでも、 年齢欄に82歳と入れると 続きがでてきません。 80代の人間は何なんでしょう? ぼくの心に感じたコトバ(306) <歴史とは、自我の内容を、時間秩序に従って 組織せる体系に他ならぬが故に、 日本歴史を学ぶことは、 日本人の真個の面目を知る所以である。> 大川周明『日本二千六百年史』 「歴史を学ぶことは真個の自己を知る所以である」 とも述べています。 ぼくが少し以前から歴史に関心を持つようになったのも 同じようなところがあります。 ぼくの心に感じたコトバ(307) <物忘れひどくて今も総理支持> せっつん(2月8日、投稿) 物忘れする人が多くて、 イライラしています。加えて、 覚えようとしない若者が増えているのも 困りものです。 ぼくの心に感じたコトバ(308) <人間は呼吸するために生きている のではない。 何かをするために生きているのだ。> ルソー ぼくもそう思って生きています。 その「何か」が、自分のためだけなのか、 社会・他者にも役立つのか、 そこが問題ですね。 ぼくの心に感じたコトバ(309) <人間、大切なのは“態度”なんだ。 その人が信頼に足るかどうかは、 言葉よりも態度で見る。> 鶴見俊輔 同感です。 安倍晋三首相を見ていると そのかんが強いですね。 ぼくの心に感じたコトバ(310) <歴史的事件がないということは 平和である、歴史が安定している ということです。 文明の質が高いといってもいい。> 田中英道『世界史の中の日本』 そうですね。 「事件」がないのはいいことです。 ぼくの心に感じたコトバ(311) <ぼくの「理想の社会」は、 「いつもどおりの日常」です。 身の回りで人が亡くなったり、 戦争していたりなどがない、 ふつうの日常が自分にとって幸せだからです。> 小学生(12歳):2019.2.22投稿 きょう83歳になりました。 空襲を経験し、家が焼かれ、買い出しに行き、野草を食べ、 いろいろ体験して、今日があります。そして、 「いつもどおりの日常」を過ごしています。 幸せです!!! ぼくの心に感じたコトバ(312) <「不便益」=不便だからこそいいことがある。> 川上浩司(研究者) 実例:ある介護施設では、身体能力を低下させないために、 バリアフリーでなく、あえて段差を設けている。 「不便益」という考え方・発想から学ぶことが多々あります。 現状をかえりみても、コンビニのキャッシュレス化など、 疑問です。スマホを持っていないから、という理由だけでなく。 ぼくの心に感じたコトバ(313) <「幸福」と「幸福感」。 「幸福」は客観的なデータがある。 たとえば、所得・物質的豊かさ。 「幸福感」は主観的な、その人の感じ方。 現状ではそれが一致しない。> 仏教教室の講義 「お金があっても幸せではない」と 金持ちがつぶやいた。 ぼくのような「中流階層」はケツと思う。 ぼくの心に感じたコトバ(314) <描かれたものには質量はない。 それが映像の中で質量が感じられる ようになるかどうか、 アニメーション表現の課題です。> 片渕須直:『この世界の片隅に』の監督 「アニメーションで描くと、 不自然だからこそリアルに見える」 とも、片渕は述べています。 なるほど・・・ ぼくの心に感じたコトバ(315) <改造または革新とは、 自国の善を以て自国の悪を討つこと でなければならぬ。> 大川周明『日本二千六百年史』 趣旨には賛成ですが、 「自国の善」とは何か、 「自国の悪」とは何か。 意見が分かれるところでしょう。 ぼくの心に感じたコトバ(316) <最も賢い処世術は 社会的因襲を軽蔑しながら、 しかも 社会的因襲と矛盾せぬ生活を することである。> 芥川龍之介 ぼくは「社会的因襲を軽蔑」してはいるが、 生活は・・・・・・ ぼくの心に感じたコトバ(317) <読解力、思考力、表現力のもとになるのは、 語彙力です。 語彙力は、 小学生のころは、読書よりも 親子の対話によって育ちます。> 「言葉の森 オンラインマガジン」 後半は賛成です。 前半の「思考力」「表現力」については、 かなり補足説明が必要だと、 ぼくは考えます。 ぼくの心に感じたコトバ(318) <描かれたものには質量はない。 映像の中で、質量が感じられるようになるかどうか、 アニメーション表現の課題です。> 片渕須直:アニメーション作家 よくできたアニメーションには 状況(「質量」)が感じられます。 アニメーションだけでなく、 映像のなかには「うすっぺらい」と 感じてしまうものがありますね。 ぼくの心に感じたコトバ(319) <“凡人”ほど怖がりである。 そのため、 自己保身を考えるあまり、 思考停止に陥りやすいし、 想像力を働かせることもできない。> 片田珠美(精神科医) 「凡人」であるぼくは要注意! 自分を対象化するよう心がけます。 ぼくの心に感じたコトバ(320) <日本は他国より安全だろう。 テロはほとんどなく、 銃を持っている人も少ない。 それはとてもよいことだ。 しかしそれにともなって 死に対する意識も薄くなっている 気がする。> 徳永 夏輝(中学生) 「今の若者は『死ね』や『殺す』といった言葉を 簡単に言いすぎだと思う」 「死は・・・・生と隣り合わせだ。だから 軽い気持ちで死を意味する言葉を使ってはならない」 とも述べている。 80歳をこえたぼくは、「死に対する意識」が強いです。 「死」に対する感覚が若い人とちがうな!と感じました。 ぼくの心に感じたコトバ(321) <人は死ぬ ちょっと早いか遅いかだ> 倉さん(新聞に投稿) おっしゃる通りですが、その「ちょっと」が ぼくにとっては大切なのです。 ぼくの心に感じたコトバ(322) <人間には3種類いる。 騙される人間と騙す人間、それから 騙されない人間。 皆さんには、 “騙されない人間”になってほしい。> 丸谷 元人(ジャーナリスト) それが難しいのですね。 努力はしているのですが・・・ ぼくの心に感じたコトバ(323) <人を踏みつける側はいつも鈍感である。 踏みつけられる側の痛みを軽く見る。 感覚をさらに鈍らせるのが 「いじる」という言葉ではないか。・・・・・・ 暴力を正当化する道具になっていないか。> 「天声人語」(2019.3.29) 芸人が芸人を「いじる」番組をよく見ますが、 あれはお互いが解りあったうえでの芸なのに、 生徒がマネするのは困ったことです。 ぼくの心に感じたコトバ(324) <悪は「まともさ」の延長線上にある。 だからこそ恐ろしい。> 米原万里(作家) さすが、作家です。 「悪人」は考えることができる。 考えることのにがてな人は悪いことができない。 と、言われていますね。 ぼくの心に感じたコトバ(325) <人から愛され大切にされた記憶が、 愛するという資質を耕すのだろう。> 福島申二(新聞編集委員) 虐待する親は、 愛情をあまり受けなかったのだろうか・・ ぼくの心に感じたコトバ(326) <スマホの文字より、 紙に印刷された活字の方が 安心して読めるし、 頭によく入ってくる。> 福岡伸一(生物学者) スマホは持っていませんが、ぼくも 紙に印刷された文字の方が 頭によく入ってきます。 ぼくの心に感じたコトバ(327) <京大では変人・アホは文化だ。> 山極寿一学長 高校生のとき、 こんな文化が好きで 京大に行きたかったのですが、 英語力不足でダメでした。 ぼくの心に感じたコトバ(328) <①正確な言葉がなければ、 深い思考はできない。 深い思考がなければ、 人生は動かない。 ②認識者から実践者になる。> 見城徹『読書という荒野』 ①の前半は納得しますが、 後半はどのような「人生」かによります。 ②は心がけていることです。 ぼくの心に感じたコトバ(329) <「SOS」が授業をダメにする。 しゃべりすぎ、教えすぎ、指示しすぎ、 は禁忌。> 「能動的学習推進」の新聞記事から。 全く賛成です。 ぼくも「SOS」は避けてきました。 ただ、 「すぎる」か否かの判断がむずかしいです。 ぼくの心に感じたコトバ(330) <「救いたい、教えたいと力が入る大人には 心を開いてくれません」。 耳を傾け、共感すること。> 天声人語(2018.8.2) 教師はつねに留意することですね!!! ぼくの心に感じたコトバ(331) <ささいなことにこそ、人がらがでるよ。> 『こども自助論』から 「真実は細部にやどる」とも言われます。 「ささいなこと」には要注意です。 ぼくの心に感じたコトバ(332) <言葉の価値は、誰が言ったかではなく、 誰が聴いたかで定まる。> 天声人語(2018.1.8) う~ん、これはたいへんです。 80歳をこえてものんびりしていられません。 ぼくの心に感じたコトバ(333) <「伝え合い」には多くの要素がある。・・ 「伝え合い」は現場でのその場かぎりのもの。> 書評から ぼくは「コトバ」に頼りがちです。 気をつけるようにしようと思います。 ぼくの心に感じたコトバ(334) <人はみな屋根裏部屋を持っている> 投稿川柳(源田 啓生) ぼくも持っています。世間並に。 ぼくの心に感じたコトバ(335) <漢字は一般的な書き言葉としては 全廃されるべきであり、 表音文字体系が採用されるべきである。> アメリカ教育使節団報告書(1946年) 漢字は日本文化を担っています。 GHQは日本文化を破壊しようとしたのです。 アメリカのおそろしいところです。 ぼくの心に感じたコトバ(336) <動物は「欲求」しかもたない。 「欲求」が満たされれば満足する。 人間は「欲望」をもつ。 「欲望」は満たされることなく 膨らんでいく。> コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』 満たされることがない。 ここが難儀なところですが、 だが、だからこそ、 進歩してきたのですね。 複雑です!!! ぼくの心に感じたコトバ(337) <陰翳を、合理性、普遍性を追い求めた 近代とは違う価値観として理解する・・・、 田舎や農村の風土に日本文化を感じる。> 新聞の随筆から 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』に関連しての文章です。 谷崎のように「陰翳礼讃」とまではいきませんが、 ぼくは、今の都会の、夜までキラキラしている 風景は好みません。 新緑をもとめて歩き回っています。 今の木立の緑はほんとうに気持ちよいです。 ぼくの心に感じたコトバ(338) <せんせい、おはなは、だれがいろぬったの?> 3歳児 ほほえましい無知と思うか、 自分にはない感受性と感じるか。 この子は、「おっきくなったら、 おはなにいろをぬるひとになりたいなぁ」と 続けている。どんな色をぬりたいのだろう。 環境に順応する「動物」になるか、 社会を少しでも変えていこうとする「人間」に育っていくのか。 この子への大人の対応・社会のありかたが問われます。 ぼくは、社会への切り口の多様性を求めて 読書をしてはいるのですが・・・・ ぼくの心に感じたコトバ(339) <歴史とは勝者の書いた記録であって、・・> 天声人語(2019.5.14) 歴史を学び直しています。 今読んでいるのは 『日本人の明治観をただす』(中塚 明著)です。 〇近代日本の基礎をつくった「明治」 と 〇退廃する明治 といった相反する(?)章が載っています。 学校で習った「歴史」(神話)を乗り越えようと 意欲だけは盛んです。 ぼくの心に感じたコトバ(340) <「ことば」はクスリ!> 本の宣伝文 コトバは 「薬」にもなりますが、 「毒」にもなります。 人間は怖いモノを考えだしたのですネ! ぼくの心に感じたコトバ(341) <風が吹けば、枯葉が落ちる。 枯葉が落ちれば、土が肥える。 土が肥えれば、果実が実る。 こつこつ、ゆっくり。 人生、フルーツ。> 映画「人生フルーツ」から。 90歳の男性と87歳の女性夫婦のドキュメンタリー映画。 ぼくたち夫婦もあんな生活を送りたいなと感じました。 80歳を超えると、今までとは違う感性が強くなりますね。 ぼくたちはどんな枯葉を落としてきたのだろうか・・・・ ぼくの心に感じたコトバ(342) <“感情の動き”がなければ、 知敷は定着しない。> 西村則康(家庭教師) エリートバカに共通するのは、 “感情をコントロールする能力の低さ” ではないか、と思います。 このごろのエリート(議員)の発言をマスコミで知ると、 そんな感じがします。 ぼくの心に感じたコトバ(343) <僕の最大の長所は、 一人では何も出来ないこと。 それを知っていること。 助けてっていえること。> 中島芭旺(10歳) 一人で何もできないことを「長所」ととらえる! 驚きです。 おとなのぼくには、こんな発想はできません。 いや、 10歳だからこそ言えるのかもしれませんね。 ぼくの心に感じたコトバ(344) <あなたの幸福度は 語彙の多さに比例します。> 午堂 登紀雄(米国公認会計士) 日本でもそうあってほしいです。 ぼくは語彙が多いと思われていますから。 幸福度も多くあってほしいですね。 ぼくの心に感じたコトバ(345) <人は変えられない。 変えられるのは自分だけ。> 武藤あずさ著 『ありがとう。ママはもう大丈夫だよ・・・』 やはり、 自分が変わるしかないのですね。 ぼくの心に感じたコトバ(346) <心の交流は「間」によってもたらされる。 ・・・そして 「嘘」が必要なのである。> 森田雄三『間の取れる人、間抜けな人』 う~ん! きびしい! ぼくの心に感じたコトバ(347) <「中学生・高校生らしくない」という理由で、 なんの根拠もなく校則がゴリ押しされる現実> 鴻上尚史 校則は誰がどこできめているのでしょうか。 ぼくは、 中学・高校の校則を読んだ記憶がありません。 ぼくの心に感じたコトバ(348) <組織に身を置けば、 そこだけで通じる論理に染まりがちだ。> 「天声人語」 ぼくも組織に身を置いています。 留意してはいるのですが、 より一層気をつけます。 ぼくの心に感じたコトバ(349) <学校より、家でゲームを していた方が楽しい!> 小学4年生 担任は困っているとのこと。 担任している子どもにこう言われたら ぼくならどうするか。 むずかしいですね。 「大きくなったら困るぞ!」とは 絶対に言いませんが。 学級集団つくり・学習集団つくり、を 見直すことはすぐにするでしょうが・・・ ぼくの心に感じたコトバ(350) <生きものは、 いなくなってから存在感を増す。> 那須 圭子(写真家) 人も生きものです。 亡くなったり、抜けられたりすると、 あらためて、存在の大きさを感じることがあります。 ぼくの心に感じたコトバ(351) <自分があらかじめ内部に持っている 既存の言葉に、思いがけない読みかえが提示され、 それまで言葉にならなかった心情の表現手段として 適当であると感じられたとき、 その「言葉」は読者に届く。> 小熊英二『<民主>と<愛国>』 「自分のコトバ」を使うように心がけてはいるのですが・・ 自分のコトバが相手にどのように届いているのか? 気になるところです。 ぼくの心に感じたコトバ(352) <「氷が溶けると( )になる」という問題に 北国の小学生が(春)と答えた。> マグ・マグ ニュース ぼくはこんな子どもが大好きです! (念のため、 「水」と答えた子が嫌いというわけではありません!) ぼくの心に感じたコトバ(353) <他人は自分の鏡。 人は自分が認識する現実。 あなたの世界はあなたの心が創り出している。> 金山さとり そうだろうと、ぼくも思います。 では、 「客観的事実」とは何なのだ? と反論されると、 そのような「世界」もある、としか 答えられません。 ぼくの心に感じたコトバ(354) <『洗えば使える泥名言』 西原理恵子 洗い方が課題ですね! へたに洗えば「名言」でなくなりますから。 ぼくの心に感じたコトバ(355) <老いは退化ではなく変化である。> アドラー 「退化」=進歩していたものが、 進歩以前の状態に立ちかえること。 「変化」ある状態から他の状態に変わること。 「老い」つつあるぼくは、実感として アドラーの考えに同感です。 ぼくの心に感じたコトバ(356) <家族だからこそ、 コミュニケーションはていねいに。> 斉藤孝『こども菜根譚』 ぼくも心がけています。 つい、荒い口調になりかけるので。 ぼくの心に感じたコトバ(357) <人は潜在能力を秘めた存在であり、 発揮できる存在である。> 金山慶允(よしのぶ) ぼくと同じ名前です。 このような漢字表記に初めて出会いました。 おっしゃっていることには同感です。 ぼくの心に感じたコトバ(358) <忘れるが勝ち! ―― 前向きに生きるためのヒント ――> 外山滋比古 最近は、「勝とう」とは思っていないのに 「忘れる」ことが多くなりました。 前向きに生きようとは思っています。 ぼくの心に感じたコトバ(359) <あなたの可能性は、 あなた自身が変化することで 見いだされてくる。> 金山慶允(よしのぶ) 「変化」の質が問われるんですよね。 「可能性」の質と連動しているからこそ・・ ぼくの心に感じたコトバ(360) <「運命」というものは、 あなた自身の「選択」によって、 必然として織り上げられていくものです。> 金山慶允 う~ん、 納得できないこともないですが・・ ぼくの心に感じたコトバ(361) <歳を取ったら、 「嫌われ者」でちょうどいい。> ビートたけし あえて「嫌われ者」になることもないけれど、 他者の目を気にせずに生きていきたいですね。 ぼくの心に感じたコトバ(362) <「われに正義あり」の一元論にうんざり。 そのくせ、論争は下手だ。 もっと論争を!> 筑紫哲也(1993年) 25年たった今も状況は変わっていませんね。 現状にうんざり! ぼくの心に感じたコトバ(363) <時間を殺す> カミュ『異邦人』 家の前や公園のベンチで、 何をするでもなく、座っている 高齢者を見かけます。 ぼくは活字を読んだり、PCをしたり、 時間を生かしています。 ありがたいことです。 ぼくの心に感じたコトバ(364) <科学が神を葬り去った代償は、 人間に巨大な虚無感をもたらしてしまった。> 菊谷隆太 欧米諸国ではキリスト教を信仰している人が多く、 イスラム諸国ではイスラム教を信仰しています。 日本では、仏教を信仰している人が多いようです。 これらの諸国では科学も活用されています。 虚無感を感じている人はどれくらいいるのでしょうか。 ぼくの心に感じたコトバ(365) <世界のどの国よりも米国を愛するのと 同じ理由で、 私は米国を断固、批判し続ける。> ボールドウィン(黒人作家) 「愛する」ことと「批判する」こととは 矛盾しません。 ぼくは納得できます。 ぼくの心に感じたコトバ(366) <愚者は経験に学び、 賢者は歴史に学ぶ。> ビスマルク ぼくは「愚者」?「賢者」? 経験も大事にするし、 歴史の勉強にも励んでいます。 ぼくの心に感じたコトバ(367) <人間は生きて苦しむだけの動物 なのかもしれない。> 夏目漱石 このコトバを書いた当時、 漱石は悩んでいたのかもしれません。 楽しく生きることができる動物でもあると、 ぼくは思います。 ぼくの心に感じたコトバ(268) <生に涯あり、されど知に涯なし。> 荘子 そう思って、 活字を読むことに励んでいます。 ぼくの心に感じたコトバ(269) <人の役に立つことのみが価値なりと 育てられたる加害者あはれ> 有沢蛍(歌人:手足が動かせない) 津久井やまゆり園の入所者殺害事件 (「意思疎通のできない人は 幸せをつくれない」と殺害) を知ってよんだ歌。 現代社会のひずんだ状況を反映している と、思います。 ぼくの心に感じたコトバ(370) <男でも女でも、 ちょっとだけ古風なほうが、 人としての色気を感じる。> 樹木希林 「人としての色気」は大切な要素だ、 と、ぼくは思っています。 けばけばしい化粧をしているギャルには ぼくは「色気」を感じません。 齢をとったからでしょうか。 ぼくの心に感じたコトバ(371) <けっしてことばにできない思いが、 ここにあると指さすのが、ことばだ。> 長田弘(詩人) 言葉になりえないものを大切にするために 言葉はある、と長田は言います。 こう言われると、ますます ことば選びに気を使いますね。 ぼくの心に感じたコトバ(372) <逃げているときは、弟(5歳)も私(7歳)も 何も話さなかった。 本当に恐ろしいときには、人は声も涙もでないんです 。> 小林愛子(張本勲の姉) 原爆で家が崩れ、逃げ出した自分たちの事を語ったことば。 母親は原爆で亡くなった。 「本当に恐ろしいときには、人は声も涙もでないんです」 そうだろうと思います。 そんな状況に出会わないことを願うばかりです。 ぼくの心に感じたコトバ(373) <人がセミと違うのは、 何度でも殻を破れることだ。> 天声人語 80歳を超えた今も ぼくは脱皮をこころがけています。 きのう、北丘小の同窓会がありました。 「先生の作文指導が今も役に立っています」 と言われて、うれしかったです。 ぼくの心に感じたコトバ(374) <「ものわかりのよさ」こそ、 私たちが駆逐しなければならない 最大の敵である。> 稲垣喜代志(地方出版「風媒社」社主) ぼくも同感です。 同調圧力がつよい現状ではなおさらです。 ぼくの心に感じたコトバ(375) <自分を相対化できるのは、 違うものがあるからです。 差異が存在するから思考が育つ。> 石井洋二郎(東大副学長) この事実を、しっかりと 子どもたちに伝えることですね。 |
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<文責:新開惟展> |